やまうらの文章

やまうらが思ったことなどを書いてます。

それはありなのか、なしなのか。

 とあるラーメン屋で、ラーメンを食べていると、隣の客と店員がこんなやりとりをしていた。

 

 前提として、そのお店は、いわゆる家系と呼ばれるラーメン屋で、特徴の一つとして、お好み通り味などを変化させてくれる。

 そんなお店で、隣の客は店員を呼び、注文と違うという。油少なめで頼んでいないのに、油少なめじゃないかと言っていた。

 隣の客と同時に出した客と注文を間違えたと思った店員Aはラーメンを交換した。

 店員Bが出てきて、どちらも同じ油少なめだよと言って、店員Aのミスでは無いかという顔をしていた。

 隣の客のラーメンをカウンターに上げて、厨房で、油を足し、ラーメンを渡し、かき混ぜてから食べてください。と申し訳なさげに謝りながら、ラーメンを差し出した。隣の客は、ラーメンを食べ出した。

 

 人によっては何気ない日常の一つかもしれないが、食に対し、また、接客業や、飲食業に対し、日々色々考えているとこんな事が浮かんだ。

 

 あらかじめ述べるが、家系ラーメンのルーツを考えれば、別に上記の事は大した事の無い日常の風景のようにも思える。長距離トラックの運転手などに向けた、こってり濃いめのラーメンで、街道沿いで、利便性もよくは無い。飯の味よりも、腹を満たす事、安い事、そんな事を重視されつつもよりおいしい物、愛される物を作ってやろうというのがルーツだと私は考えている。そしてそれは独断と偏見で正確では無い事もあらかじめ告げておく。そう、所謂男飯なので、雑であっても悪では無い。それは分かった上で書いている。

 

 とある東京随一のつけ麺屋に訪れた時の事だった。気持ちのよい挨拶で、店の中に入ると、頑張って綺麗にしている店内と、ちょっと厳つい感じの店主。愛想笑いは余り上手くは無いが、できる限り誠意を持って応対しようというオーラが心の奥からにじみ出ていた。

 そんなお店にはつけ麺一本しか無い。麺冷たく、スープあつあつ。それで食すから旨いんだ。こだわり抜いていた。具材一つとっても、こだわり抜き作っていると言った雰囲気が物語り、まずは麺とスープだけで味わえるように、具は完全に別皿で出てきた。

 そんなお店で、熱盛は出来ないかと聞いている客がいた。店主は申し訳ないが出来ないと答えた。一番おいしい状態で提供したいので、もし、熱いのが食べたいのでしたら、スープを何度でも暖める事は可能なので、気軽にお申し付けくださいと答えていた。

 客の要望に応えるのも、一つの選択だと思うが、それ以上に、店主が信念を持って、これ以上おいしい物は無いと思った物を提供する。客がわがままを言っても、それに答えるのでは無く、誠意、自信を持って、商品を提供する。それこそ大切な事のように思えた。

 

 さてさて、話は戻る。完成された料理を提供するのが、飲食店だと思う。もちろんパフォーマンスで、その場で調理する事もある。または、焼肉などのように、お客に楽しんで貰う場合もある。ただ、それも含めて完成し、最高に旨い物を提供してこそ飲食店だと考えている。

 だからこそ、後足しで油を加える事、申し訳なさそうにでもあっても、かき混ぜてくれと言って料理を提供するのは、他の多くの目がある中でやって欲しくは無かった。