この世界はまだ死んでいないはず。
青春時代に合ったもので、最近は無くなってきたなと感じるテレビゲームのショップ。今はダウンロード版を購入するのが当たり前の時代で、ネットショッピングが基本になりつつ中で、大型量販店のゲームコーナーもどことなく縮小されてきている気がする。
インターネット上で情報を得る前は、雑誌やテレビ、そしてゲームショップで新作ゲームの情報を手に入れていた。また、中古品を取り扱うお店では、宝の山のように目を輝かして、安く、見たことの無い、まだ知らない世界を探していた。
とある事情で、生活が激変して、見える世界が変わってきて、一時期はゲームから遠ざかってもいたけれど、最近では逆に恋しい部分もある。
情報を集め出すと目新しいモノは少ない。手に触れられるには限度がある。そして中々触手を動かすことも出来なくなってきている。
業界の流れを見ると、スマホの課金型ゲームのコンシューマー版とか、ある意味では変動の機会が訪れている。さらには、任天堂とDeNAの提携など、確実に進んではいる。
ただ、業界自体もお金が無いのか、すごく冒険はしていない。どこかで見たような内容を少し変化させているに過ぎない。新しい遊びの提案は上手く出来ているようには見えなかった。
街を見ると、個人商店の死を感じる。どこを見ても、チェーン店。どこの街も同じお店。遠くのショッピングモールも、近くの商店街も同じ町並み。
並列化は時に面白みを無くす。変化に富んでいる事で、刺激を感じて、その刺激が何かを生み出す。
山田孝之の東京都北区赤羽を見ていて、彼が作りたかった、自分自身の芯を作るというのは、この現代で一番大切なことなのかも知れない。オリジナリティとか、アイデンティティとか、マイノリティじゃないけれど、僕が僕であるために、何を得たいのか。それは自分自身が一人しかいないという証明の用に感じた。その時、山田は個性ある人たちに触れること、現代の下町、赤羽で吸収し、何かを世界に返すことで芯を得たかったのでは無いかと思う。
並列化の先に何があるのかはまだ分からない。でも、楽しさは幾分失う気がする。ただ、並列化することで生まれるチャンスもある。見えない何かを生み出す時、そこは暗闇かも知れないけど、いつかは光に変わる。
って何の文章だこりゃ。