やまうらの文章

やまうらが思ったことなどを書いてます。

3.11

 僕は仕事をしていた。確か、機械の整備で、大型機械の下を潜っていた。足場が揺れて、同僚のいたずらかなと思った瞬間に「地震だ!!」と言う声と共に徐々に揺れが酷くなっていった。

 

 会社内の配管が生命を宿したかのように揺れていた。いつ崩れてもおかしくない。そう感じて、外に逃げろと思った瞬間に、「そっちは危ない」と同僚の指示が飛んできて、我に返った。あの配管が崩れたら死ぬだろう。うごめく鉄の塊を中空に捉え、僕の足は鉄のように固まっていた。

 

 避難路から出ると地震は少し落ち着いたが、細かい余震が続いた。

 

 避難してからは定時まで会社に拘束され、その後は帰宅出来るものから帰宅して良いと言われ、放り出された。会社に残っても良いとは言われたが、家族と、買ったばかりのテレビが、地震で倒れていないかが気になって仕方なかった。

 

 太陽は静かに眠り、暗闇が広がっていた。街は異常事態で、街灯も一部消え、信号は赤い点滅を繰り返すばかり、いつもの見慣れた街には、知らないスーツのサラリーマンがたくさん行群していた。

 

 災害マップを持っていたわけでは無いので、家に帰れると宣言したが、会社から歩いて帰宅したことなど無く、幹線道路を伝って、iPhoneグーグルマップを頼りにしていた。メールも電話も通じず、Twitterだけが情報源だった。

 

 Twitter上で、どこの誰とも知らない人に励まされつづけて、いろんな人と情報を交換しつつ、何とか2時間半ぐらい歩いて帰宅出来た。闇が広がりすぎて、道に迷ったので、普通に歩くより長く掛かり、体力を奪われていた。

 

 家に帰ってからも、停電が続く。蝋燭と、懐中電灯だけの光では、弱まった気持ちを更に滅入らせてくれた。ただ、テレビが無事だったのが救いだった。買ったばかりで修理に出すのかと、かなりどうでも良いことにひやひやしていた。

 

 深夜1時ぐらいに電気が復旧し、テレビをつけると、現実とは思えない光景が広がった。何かの特撮を見ているような、9.11のような現実感の無さに、僕は生きているのかどうかを失っていた。

 

 見える被害にショックを受けつつ、見えない被害の拡大浸食されていく。今もまだ続くが、僕の現実にはいつの間にかに薄まっていた。それが、距離の差なのかもしれない。ただ、現実的に厳しい状況をいまだに続いている人がいる。そして、それを悪用している人もいるようだ。

 

 僕はこの体験をいつかどこかでと思っていたが、今の僕ではこの程度の何にもならない稚拙な文章にしか出来なかった。記憶から風化される前にと思っていたが、かなりの大部分が消えてきている。ただ、一生忘れられないのだろう。トラウマとも違う衝撃。

 

 9.11、3.11と続いて、まだ僕はショックから立ち直れてはいない2.27。全てを書いて、全てを消して、消したことに後悔をし、書き直すことの出来ない力の無さに打ちひしがれている。

 

 もう少し、もう少し、文章に触れて、もう少し、もう少しだけ、何かを伝えられたら良いな。