やまうらの文章

やまうらが思ったことなどを書いてます。

入力装置がキーポイント。

 入力装置の進化こそが人類の進化の鍵を握っていると私は考える。

 急に何を言い出すことやらと思われますが、ここ25年ばかり、進化のない日常のようにも思える。ちょうど5歳ぐらいの時に家に初めてパソコンが導入された。当時は30万円も、40万円もしていた高価な品だった。欲しいな欲しいなと思ってはいたものの、両親が何故購入に踏み切ったのか、いまいち覚えてはいない。結局、うまく活用されることは無かったけれど、早々に導入されたことによって、楽しさもいろいろあった。
 だいたい25年ぐらい前に初めてQWERTYキーボードに触れて以来、今も、QWERTYキーボードでも、この文章を作成している。もちろん、タッチパネルでフリック入力もあるし、音声入力もあるが、結局のところ、25年前に触れたこのキーボードから細かい進化はあるかもしれないが、概ね、入力装置という概念、特にタイピングにおいては進化している気配はない。
 私が生まれる以前にはタイプライターというものが使用されていたらしい。この頃にQWERTY配列ができたとされている。諸説あるが、打鍵速度がタイプライターの処理速度を超えてしまい、ハンマーを壊す事が多かった事から、入力配置を変えて、現在のQWERTYキー配列にすることで、打鍵速度をタイプライターの処理速度に合わせたとの話が、私の中では結構しっくりくる。事実はわからないが、今もこのキー配列が適切かどうかという話になると、より効率的な配列で、タイピングを習得すれば、QWERTYキー配列よりも、より速く打てる配列が、何通りか、既に存在しているが、結局のところ、既にQWERTYキー配列でタイピングを習得している人が多数なので、なかなか浸透しないという話。
 また、面白いなと思えるプログラマーの話を読ませていただいたが、効率を極める人は日本語入力においては、かな入力の速度にかなうものはないということである。単純にかな入力は1タイピング1文字打てるが、ローマ字入力では2タイピング1文字が基本になるのでタイピング数が変わってくる。本当に効率を極めたい人は、かな入力もマスターしているという話。

 少し、話は逸れてしまったが、様々な用途で入力装置が存在しているが、それに伴った入力装置が根付いている。汎用性の高いキーボードはどこにでも存在しているが、何ものにも得難いものとはなっていない。車はハンドル。ゲームは十字キー、最近ではスティックか。汎用デバイスはタッチパネルに置き換わってきているが、結局その中にキーボードを設置していることを考えると、入力装置は未だに指先から発するのがベストと考えられているのだろう。

 Siriの音声入力を試すとハッとすることがある。定型文的に話すことで認識率の高さに驚きを隠せなくなる。ある意味で、テクニックをうまく使いこなせば、多分、キーボードを凌駕するのではないかと思いつつ、環境がなかなか許さない部分も多い。
 機械に話しかけるという光景がまだ日常になっていないのと、騒音エリアでの認識率。定型文以外の崩し、声帯を利用し慣れていない人々。

 課題はあるけれど、指先から、他の部位に入力が変化するというのは非常に面白く感じる。その上で、また違う入力が根付いたときに、人間はまた未来を切り開くのだろう。だって、この数年で、タブレットや、スマートフォンの普及率の高さに驚くし、スマートフォンを使用しながらの歩行は気をつけましょうという駅でのガイダンスを聞くたびに、未来がきたのだなと感じられるのだから、また、想像しない進化が、日常に降りてくるのだろう。